スペースダンスワークショップ & 公演

 

「スペースダンスワークショップ & 公演」

はじめに「スペースダンスワークショップ」を実施し、その後にその成果として、参加者とともに「スペースダンス公演」を実施します。

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■ ミッション

スペースダンスワークショップ & 公演』を通して、私たちはスペースダンスプロジェクト実施とスペースミュージアム運営に必要な「スペースダンサー」を世界中で育成します。

[Space Dance Workshop & Performance Promotion Video

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はじめに、「BUTOH」の名称で現在も世界の文化市場に流通する「舞踏」とは、一体どんなダンスなのでしょうか? そして、「スペースダンス」とは?

舞踏は現在、一時の欧米で流行した時期を終り、アフリカ・アジア・南米等への進出を始めており、多くの日本人以外の舞踏家を輩出しつつあります。

日本で誕生した「舞踏」には暗黒舞踏派即興舞踏派がありますが、東京スペースダンス代表・福原哲郎は舞踏第二世代として即興舞踏派に属します。そして、舞踏の中に含まれる『身体知』を情報化して社会に還元するために「ダンス + 建築 + 情報 + デザイン」によるコラボレーションを採用し、舞踏を「スペースダンス」として継承しています。

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■舞踏とは何か ?

舞踏は、 1960年代後半の日本において、 江戸時代までに存在していた日本の伝統的身体所作と現代ダンスを融合するものとして、土方巽と大野一雄により暗黒舞踏が創造され、笠井叡により即興舞踏が創造されました。

福原哲郎による「舞踏の定義」とは以下のようなものです。

舞踏とは、「内部からのステップ」です。

舞踏とは、各人の個性に根ざした、自前のダンステクニックによる身体芸術であり、「直接的な自己表現」です。

舞踏とは、「野性の回復」であり、現代世界において失われた「陶酔する身体」の復活です。

舞踏は、自己の身体を受容する限り、年齢・国籍・性別に関係なく、誰でも踊れます。舞踏は日本で誕生しましたが、柔道や合気道のように外国人の舞踏家も増えており、日本人に限られたダンスではありません。

舞踏の楽しみ、それは「世界に対する感覚を一新する喜び」です。自分と他者の区別がなく、自分があらゆる世界、あらゆる場所、あらゆる動物とあらゆる植物、あらゆる人びとに「一体」として繋がっているという至福の感覚を味わうことができます。舞踏家はその感覚を得たくて、何度でも踊ります。

舞踏とは、「年齢と共に成熟するダンス」をつくる身体芸術です。能の「花」のように、舞踏にも「時分の花」と「秘すれば花」があり、舞踏家は年々に成熟する美を創造します。

「年齢と共に成熟するダンス」を創造することも、21世紀ダンスの大きな課題です。一定の年齢が来れば引退しなければならないダンスとは、そのダンス技術にムリがあった証拠であり、狭い美の概念に囚われたダンスに属します。舞踏では、「年齢と共に成熟するダンス」を習得するために、美の概念を拡張し、身体を受容すること、ムリをしないこと、ならうべきモデルを持たないこと、自前の世界観をもつことを教えます。

◎批評

『危機の時代に』
大山茂夫
(朝日新聞調査研究室主任研究員/東京)

私が舞踏に魅せられた動機は、ハイテクノロジーの進展だった。身体のもつ根源的感覚をとりもどし、立ち帰ることが、どんな時代よりも緊急に必要になったのだと思う。私の理解するところでは、舞踏は、身体そのもの、つまり身体の根源にある存在を表現しようとする。すぐれた舞踏家はこの時代の危機を感じとっているはずだと考え、私はハイテクノロジーの行方を追う一方で、舞踏の世界に入りこんでいった。そこで出会ったのが福原哲郎だった。

福原は、舞台の正面で舞っていた。指ひとつひとつが凝縮したまま微かに動き、身体が前に進んできた。その瞬間、私は火花が走るように、何かを思い出した。言葉にならない、身体の底から噴き出す波動のような感覚といったらいいだろうか。舞い手の身体は、その何かに添い、何かを放って、寸分たがわずという感じで、空間を切っていた。私は身じろぎもできなくなって、凝視していた。舞踏家の身体の動きが、一瞬にして根源的な感覚を伝えてしまうとは、何ということだろう。

『スタイルを超えて』
イボンヌ・テネンバウム(批評家/パリ)

私は今日、世にも澄み切ったダンスを見た。福原哲郎のダンスは、欧米の国々で一般的になった暗黒舞踏とは違い、私が理解した舞踏の真髄に近いものである。 自我の消失についての探求は西欧でも、トレシャ・ブラウンやウィリアム・フォーサイスによっても試行されている。しかし、福原の舞踏の特徴は、ダンサーと演出家は一体であり、彼は自己のダンスの経過を聴きつつダンスしている、という点である。

福原は、自己意識からぬけ出しているだけではなく、「自我としての主体」とは異なる「空間としての主体」という新しい位置を獲得している。この「空間としての主体」という観点こそ、今後の芸術や文化において重要な鍵を形成することになる新しい哲学であるゆえに、私が言う意味における舞踏の、独自で、重要な今日的な宝なのである。

『この夜、新しい人がやってきた』
フセイン・ビン・ハムザ
(アンナハール/ベイルート)

この夜、福原哲郎がベイルート劇場で演じたものは、われわれアラブ人には衝撃的な体験だった。それは、福原が、一目でダンスの素晴しいテクニシャンであることを感じさせながら、フォルムに対しては驚くほど淡白で、個々の動きに感情移入することなく、明確な距離をとっていたからである。

なぜ彼はこのように自由に振舞えるのか? 彼は自分自身に聞き入り、魂の森のなかに姿を隠しているようだ。彼は劇場の約束事には縛られず、自分ひとりのままで嬉々としており、ひたすら身体に湧き出してくる驚くべきエネルギーに守られていた。人間の動きには必ず終わりがあるのに、彼の動きはその束縛を逃れ、はじめも終わりもなく、永遠に続いていくように思われた。

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■スペースダンスとは何か ?

スペースダンスは、「ダンス & デザイン」をコンセプトとし、身体と空間との親和的関係を回復させ、ダンスの後に新しいデザインを誕生させることを目的としています。

スペースダンスは、1994年に福原哲郎が美術家・荒川修作とアフォーダンス理論に出会ったことを契機に、2001年のニューヨーク国連本部での公演を通して誕生しました。

スペースダンスの本質は、「身体と空間、或いは身体とモノの親和的関係」を「身体知」として情報化することです。同様に、その時に回復される「失われた記憶」を「イメージ」として可視化することです。そのために「ダンス+建築+情報+デザイン」による共同作業を採用します。

福原哲郎によるスペースダンスの定義は以下の通りです。

身体は物語を表現するための道具ではなく、身体が物語です。

すぐれたダンサーは、いつの時代でも、「
身体を客体化してダンスする技術」を持っています。スペースダンスでは、この技術を学び、ダンスの動きを通じて「記憶の発掘」に挑戦し、そこで得られた成果を「身体知」として蓄積します。

」は、地面との接触面を通じて地球に繋がっています。人は日常ではこの事実を忘れて生活していますが、身体を客体化してダンスすることで、「」と地面の関係がよく見え、その関係は親和的になり、身体と地球の密接な関係が回復されます。

ダンサーが地球との密接な関係を回復してダンスする時、「
」の頭頂葉や側頭葉の周辺にわずかな異変が生じることを認識できます。それは、地球と親和的に接続された身体を動かすことは「」にとってもはじめての体験だからです。

はじめての体験を行うためには、「
」も新しい力を獲得する必要があります。その体験は、まるで、盲人が愛用の杖を自分の「第2の身体」にして地面を探っていくように、ダンサーも地球を「第2の身体」にして宇宙を探っていくような体験です。

」は、その誕生の過程で、母親の胎内に約10ヶ月存在する時に、発生時の脳から現在の人間の脳に至るまでの進化史を再現しつつ形成される為、脳にはすべての生命体の記憶が貯蔵されています。そのために、人の身体の動きにも「人の動き以外の動き」が混じっています。

スペースダンスでは、ダンサーが脳にわずかな異変を感じ、その影響でふとしたはずみにこれまで経験したことがない動きをはじめる時に、脳
に貯蔵された「忘れられた記憶」に触れ、それらの記憶を刺激し、覚醒させます。

忘れられた記憶」はダンサーの心につよい郷愁の念を呼び起こし、ダンサーに新しいエネルギーを与え、人間としての「既知の動きの世界」の背後に「未知の動きの世界」が存在することを教えます。

このエネルギーは無限です。「
忘れられた記憶」を発掘したダンサーは、脳の機能を発展させ、個々の記憶に対応した「思いがけない動き」を体現し、その新鮮さにふるえ、自ら驚きます。その発掘と体現の程度により、ダンサーは「人間的な劇を超えた新しい物語」を身体をもって語りはじめます。

このエネルギーを宿したダンサーは、踊れば踊るほど、坂道を転げ落ちる雪ダルマのようにエネルギーを増幅させ、疲れることがありません。

スペースダンスでは、こうして「
忘れられた記憶」を発掘し、それに応じた「新しい動きの世界」を展開し、この過程を魚・両生類・四足動物・鳥・サルを含む「姿勢の進化史」として表現します。

姿勢の進化史」は、手や足を持たないアメーバーからはじまり、現在の人間における二足歩行の形態として一つの頂点を迎えています。しかし、この頂点も、宇宙時代を迎えた今日の世界においては「一つの通過点」に過ぎません。

姿勢の進化史」として表現するのは、スペースダンスが、ヒトの起源について回想すると共に、その回想からのリターンとして、ヒトの「身体の未来」をデザインすることを目的としているからです。

そのために、スペースダンスでは、「身体知」の情報化に必要になる「身体-空間モデル」を開発し、このモデルを使用して体験される「
姿勢の進化史」を映像として可視化します。さらに、ここで蓄積される「身体知~記憶の発掘による新しい動きの世界」を、身体・モノ・空間を対象としたデザインとして変換し、出力します。

こうして、スペースダンスでは、
ダンスの後にデザインが誕生します。具体的に、「身体-空間モデル」の開発に必要なインスタレーションとして、スペースチューブを使用します。

スペースチューブは、近代建築による「
かたい空間」とは異なり、「やわらかい空間」です。そのため、スペースチューブの内部では、身体の動きと空間の形状が一対一の関係で即応するため、個々のダンサーが蓄積した「身体知」が容易に情報化の対象となります。

こうして、スペースダンスとは、通常のダンスとは異なり、ダンスの後にデザインを出力することを目的とする「
ダンス&デザイン」の行為となります。

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■スペースダンスワークショップの6章

スペースダンスワークショップを「身体基礎 + アフォーダンス + 起(き) + 承(しょう) + 転(てん) + 結(けつ)」の6章により構成し、スペースダンサーとしての基礎を鍛えます。

第1章 『身体基礎』

身体の中心」を保ち、「身体と空間の間のエネルギー循環」を効率よくするために、身体のすべての関節と筋肉をやわらかくします。

第2章 『アフォーダンス』

ダンスを、「自力」ではなく、環境情報を吸収することから「他力」としてスタートさせるために、身体を客体視して身体を「客体」として意識し、「客体」と身体の周囲の何らかの「外物」との間に親和的関係を成立させます。そして、自分ではなく、「外物」がダンスしているように見えるダンスを構成します。

第3章 『起(き)~足の発生』

はじめに正座して、心身を落ち着かせます。次に、正座の姿勢から、全身の感覚が顕在化するように、またそれにつれて一定の「記憶」が蘇ってくるように、まるで「」が今はじめて発生してくるような感覚で、ゆっくりと立ち上がります。さらに、感覚が先鋭化し、同時に「記憶」の回復が増幅される動きのあり方を探し、あたかも暗闇の中を一人で彷徨するように、ゆっくりとダンスします。

第4章 『承(しょう)~姿勢の創造』

第3章の『起(き)』のダンスを承け、はじまったものには必ず終わりがある事を認識し、ダンスの動きを姿勢の創造」として展開し、同時に回復される記憶群から自分の望む「記憶」を選別してより明瞭にして、動きの「頂点」を目指します。まるでこれ以上活動的な生命体は自分以外にはないと思える感覚で、自由に、縦横にダンスして、世界に対する感覚を一新します。

第5章 『転(けつ)~カタルシス』

第4章の『承(しょう)』のダンスを承け、ダンスする場所を変え、再度同様のダンスを試みます。但し、ここで目指すのは「頂点」ではなく、「頂点」を通過した終わりの地点としての「カタルシス」。人間として、これ以上の「姿勢の創造」はあり得ないと思えるまで多様なダンスを繰り返し、その結果として最良の幸福感に浸ります。

第6章 『結(けつ)~足の終わり』

第5章の『転(てん)』のダンスを承け、ゆっくりとしゃがみこみ、ふたたび正座し、次に寝転び、最後に静止して、「カタルシス」を完成させます。まるでこの一連の動きにより「」を消滅させる事ができるかのように、また人間としての勤めを終わり「ポスト人間」への準備に入ったかのように、新しい世界の日の出を待つような感覚で。

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■スペースダンス公演の9章

『スペースダンスワークショップ』の成果を基礎にして、以下「9章」から構成される『スペースダンス公演』を参加者とともに公演します。

Chapter 1 “記憶”

ダンサーは,ステージに立ち、「身体を客体化する技術」によりゆったりとダンスし、エネルギーを身体と空間の間に循環させることで、「」に蓄積された「忘れられた記憶」がダンスの動きと共に蘇ることを体験する。そして、立ち尽くし、さらに内面化して記憶を増幅させ、身体を溢れるばかりの記憶で満たす。

Chapter 2 “ウォーキングダンス”

ダンサーは、足と地面の間に親和的関係を形成し、「この世でもっともやさしい歩行」をつくる。注意をはるかな過去の記憶に遡らせ、人間が二本の足で立ち「二足歩行の奇跡」を実現した瞬間を追想し、「人間をはじめ直す感覚」を体験する。その体験を深めるために、さらに独特な歩き方を試みる。

Chapter 3 “小さな動きの中の天国” 

ダンサーは、身体に流れ込むエネルギーをすべて消費せず、あえて動きを制御して「小さな動き」を選択し、そこに留まることで、雪ダルマのように膨張するエネルギーの世界を体感する。そのためダンサーは疲れることがない。そして、自分のダンスの動きの中に「隠されていた動きの世界」が存在する事を知り、あえて選択した「小さな動き」の連続によりダンスの頂点に至り、「パラダイス~あらゆる動きが可能になる自由」を大きな喜びをもって実現する。また、失くしていた「野生」を取り戻す。

Chapter 4 “からだを空にひらく”

ダンサーは、「新しい生命体」として生まれ変わるために、「抑制された美のシーン」を儀式として演じる。観客は、山の端から登る大きな月を見るように、非常にゆっくりとダンサーの裸の背中が見えてくる光景を目撃する。ダンサーは、身体を空間に解放し、「新しい旅」に必要な知恵を蓄える。

Story 5-1 “次元”

ダンサーは、スペースチューブの中に入り、自分の顔を45度の角度でスペースチューブの布に押し付ける。観客には「透けて見えるダンサーの三次元の顔」と「影として見えるダンサーの二次元の顔」が一つの顔として重なって見える。このシーンは、スペースチューブの中には余剰次元が励起することへの暗示である。ダ ンサーは、余剰次元には世界から消えた多くのものが存在し、「4次元の存在」と「5次元の存在」が同居していることを知ることができる。

Story 5-2 “奇妙な果実”

ダンサーは、スペースチューブに身体を委ね、スペースチューブが自分の「第2の身体」として拡張されていく感覚を味わい、この感覚の中で容易に「浮遊」が可能になることを知る。ダンサーは浮遊して、失われた「多様な記憶」を回復させる。蘇った記憶に応じて、ダンサーの身体が流体のように変形を繰り返し、ダンサーは「」になり、「両生類」になり、「四足動物」になり、「」になる。

Story 5-3 “流体家具”

ダンサーは、魚・両生類・四足動物・鳥などの多様な姿勢形成を利用して、スペースチューブの中で椅子とのコラボレーションを実施して「流体家具」を誕生させる。「流体家具」は、椅子でもあり同時にベッドであるような「新しい家具」であり、ダンサーは「流体家具」に座ることで、「立つと坐るの間」と「坐ると寝るの間」に新しい姿勢を形成できる。

Story 5-4 “親和性”

ダンサーは、スペースチューブの中で安らぎ、気に入った一つのダンスを延々と繰り返す。すると、いつの頃か好きだった「音楽」がダンサーの耳に聴こえはじめる。それはダンサーの脳に蓄積された親しかった遠い動物たちの叫びだ。ダンサーの頭の中で古い記憶と新しい記憶がせめぎ合い、そのズレがニューロンを通過する「未知の微電流の変化=音楽」として聴こえる。

Story 6 “立ち上がる禅”

ダンサーは、スペースチューブを出て、静かに座り、心身を落ち着ける。そして、考える。なぜここにいるのか? どこに行けばいいのか? 目を閉じると、どこからか「さぁ、時が来た。そこにはあなたが知りたかった世界があり、あなたが待ち望んでいた仕事が待っている」という声が聴こえる。ダンサーは、ゆっくりと、立ち上がる。

Story 7 “ウォーキングダンス2”

ダンサーは、再度ウォーキング・ダンスを試みる。ゆっくりと立ち上がりつつ、まるでいまはじめて腰から生えてきたように、二本の足の隣に「もう一本の足」が存在していることに気づく。また、両手は「」になっている。ダンサーは、三本の足と翼で、半ば「浮遊」し、半ば「回転」しているような、新しい歩き方の工夫を始める。ダンサーが新しい生命体になり、人間の次の姿を形成するために。

Story 8 “カタルシス”

ダンサーは、過去への回帰からのリターンとしての「ポスト人間の姿勢」の形成を繰り返し試みる。ダンサーは、隠されていた自分の性格と魅力を発見し、多重人格者のようになった自分の新しい個性をつかみ取る。自分の固有のフォルムをつくり、パラダイスを超えて、カタルシスに至る。

Story 9 “花”

ダンサーは、静かに横たわる。心の中で「会いたかった人びと」と再会し、自分を「喜びに満ちた花」として体験する。やがて自分が「人間の次の世代」として見知らぬ惑星で目覚めるその日について黙想し、花々を降らせ、カタルシスを完成させる。こうして「一つの旅」を終わり、満身の微笑とともに観客の背後に向かって挨拶し、溶け出すように大地に帰還する。

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